メッセージ (2) - ゼロ意識共鳴で、本当の自分に目覚め・覚醒を促し、心の平安や真の幸せへの道案内

表現と捉え方

表現と捉え方には、マインドと立ち位置が関係してくる。

立ち位置が違えば、当たり前のように表現が違ってくるわけで、
それを、自分とは違うからといって、
自分が正しくて相手が間違っていると断言することが問題になるのだ。
逆に相手が正しくて自分が間違っていると決めつける必要もない。

立ち位置が違う場合は、どちらも正しい場合もあるのだ。

自分が理解できないからといって自分を責める必要はない。
相手を問い詰める必要もない。

また、マインドの反応が起きる場所は人それぞれ。
反応が起きることが悪いわけじゃない。
ただ、その反応に無意識であることが問題なのである。

マインドにより、捉え方も違ってくる場合もある。
捉え方が違うからといって悪いわけじゃない。
ダメなわけでもない。
だから、自分を否定する必要もない。
ただ、捉え方に自分の勝手な妄想をプラスする必要もないのだ。

捉え方の勘違い、卒業しませんか?

自分が○○したからこうなった、
私が言った通りにしたからこうなった、
自分が強く思ったから引き寄せた、

そんな言葉をよく耳にします。

が〜
真実から言うと、確かにそうかもしれない。
けど、そういう時が来たから、それがその時必要だったから、
そうなったとも言えますよね。

もしそうしなくてもそうなったかもしれないんです。

そう考えてみたことってありますか?


自分が○○したからいい方向に進んだと思えば、
マインド的にはさぞかし満足できるでしょう。
天狗さんになれるでしょう(笑)

都合よくいけば、”私の動き方、考え方がよかった”と有頂天になり、
都合が悪くなれば、”私はダメだ!”と自分を責めたり、落ち込んじゃったり。

未熟なマインドちゃんは忙しいのが大好きです。
偏った捉え方しかできなくて、
アップダウンを引き起こして自分で自分を苦しめてるっていうことに
気づけないんです。
一方向からしか見れなくて、断言するのが大好きです。

結果的にどんなことになっても、
真実は、そう断言できるものではありません。
一見、そのように見えることでも、そうではない場合もあるんです。
つまりは、いつだって必要な事しか起きない、
原因も意図もなくそう起こってくる、ただそれだけです。

それが真の捉え方。

もし、そう捉えることができたなら、
平和で平穏な日常が今すぐにでもやってきます。
マインドに振り回されない毎日がすぐにでもやってくるでしょう。

こういうと、そう思い込もう、信じ込もう、覚えようとされるかもしれませんね。
けど、それでは、不十分なんです。
ここが難しいところかもしれません。
どんなに確実に覚えたとしても、
どんなに自分で自分を洗脳できたとしても、
それは、本当の意味での理解ではありません。

ここ、勘違いしないでくださいね。


捉え方の勘違い、理解の仕方の勘違い、
そろそろもう終わりにしませんか。



人生に無駄なことは何もない

人生・・・

この世で人として生きる道。

その道に無駄なんてものは何もない。
一見、無駄だったように見えることも
あとから振り返ってみると、何かしら役に立ってるはず。

時間を無駄にしたくない。

よく聞く言葉です。

でも実は、無駄になってる時間というものは存在しないんです。

余計なことに時間をかけて、
本当に必要なことができないこともあるでしょう。

だからといって、
その余計なことをしたことが無駄になることはありません。

その経験・体験がしたかったからかもしれません。
何かしらのカルマの解消かもしれません。
何かの気づきのきっかけになるものだったのかもしれません。
何かの学びだったのかもしれません。

そもそも無駄というものは存在してませんから。

個人には関係なく、全体性からそう起こってきています。

無駄なことはしたくないとあなたは言うかもしれません。
が、必要なことは自然とするようになっているんです。


だから
無駄になるんじゃないかという心配は必要ありませんし、
無駄なことはしたくない
とか
無駄な時間を費やしたくない
とか
思う必要もありません。

そう思っているのはマインド(自我・エゴ)です。
全体性から起こってきていることなので、
マインドでは、把握できないこととも言えるでしょう。
マインドが、無駄というものが存在していると思っているから、
無駄かどうかと判断したがるとも言えるでしょう。

無駄という枠をなくしてみませんか?

辛い、苦しいと言ってるのは誰?

昨日のセッションでもお話ししたこと。

悲しい
苦しい
辛い…

そういう感情は誰が抱いているのでしょう。

それが調べられたなら、
本当の自分ではないことがわかります。

そういう感情も自然と起こってくる時があるでしょう。
けど、それが本当の自分ではないと知っていたなら、
それらに翻弄されることはなくなります。

本当の自分は、それらに気づいている意識であり、存在です。

感情と同一視しなければ、問題ではなくなります。

問題でないのであれば、
それらが起こってきてもいいんじゃないでしょうか。

というと、それを知識として覚えるって方もおられるでしょう。
覚えたのでは、腑に落ちたことにはなりません。
腑に落ちたとき、自然とそう思えるんですよね。

だから、本当にそうなのか、自分で調べてみてくださいね。

問題視するってこういうこと

起こってきたことに”問題”という名を付けなければ
問題にはならない。

”問題”という名を付けるから、問題になるのだ。

誰が問題だと思ったのだろうか。

それを突き止めたとき、
問題だと思っていたことは、問題ではなくなる。

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