自我・エゴ・マインド - ゼロ意識共鳴で、本当の自分に目覚め・覚醒を促し、心の平安や真の幸せへの道案内

心はドタバタ動き回るもの



心は、いつもうろうろと動き回る。
過去に行ったり、未来に行ったり、
あの人この人、あの時この時、等
いつもいつも動いてる。

どうして静かにならないのか。

それは、心の本質がそうだから。
心とは、元々そういうものなんだよ。

そうやって、心がウロウロしちゃうから、
どうしてもそのウロウロの方に意識が向いてしまう。

例えば…
子育て中の親なら
兄弟姉妹でも、おとなしく言うことをよく聞いてくれる子より
やんちゃでおてんば、何をしでかすかわからない子の方が気になるでしょ。

教員だったら、
おとなしく目立たない子より、
いたずらしたり、授業を引っ掻き回すような子や
勉強がよくできるとかその逆のこの方がよく覚えているでしょ。

風景を眺めてても
じっとしている山よりも、
その傍を走っている車の方に目が向いちゃうでしょ。

それと同じ。

本当の自分(在る・真我)は、いつも静かで穏やかで不動なのに、
心は動き回るもんだから、
どうしてもそちらに意識を向けてしまう。

そして、その心が自分だと思い込んでしまうから
本当の自分を探そうとか知りたいとか、なかなか思わない。
心とは別に、本当の自分が存在していることさえ知らないかもしれない。

そうやって、心は、じょうずに本当の自分(真我・在る)を覆い隠してしまう。

別の言い方をすれば、
覆い隠しているというよりは、本当の自分(真我・在る)の方に
意識を向けさせないようにしている。

その心、
いつもドタバタ動き回ってる賑やかな心を
静かにすることができれば、
本当の自分(真我・在る)は、自ずと姿を現すでしょう。

ああ〜!!
なんだ!!
こんなに近くに在ったのか。
と。

苦しんでいるのは誰でしょう

苦しみ。

それは誰が苦しんでいるのでしょう。

そりゃ、もちろん、私だよ!

本当にそうですかぁ〜?

え?
そうじゃないの?
そう言われても…
私以外の誰なのよ!!
私しかいないじゃない!!!

苦しんでいるのは、本当のあなたではありません。

ああならない
こうならない
ダメだダメだ
と嘆き苦しんでいるのは・・・


マインドです。


マインドは本当のあなたではありません。
苦しんでいるのが自分だと錯覚するのは
それだけ、マインドが巧妙にリアルさを感じさせているから。
起こってもないことを、いかにも起こっているように錯覚させてるから。
マインド = 自分、と自分とマインドが同一化してるから。

本当のあなたには
苦しみなんてありません。
それが真実です。

マインドって偽物の自分。だ・け・ど・・・

前記事で
マインドって偽物の自分っていう表現がピンと来るって書いたけど、

そうなんだけど〜
そうなんだけど〜

その偽物の自分が必要な時もあるわけで〜
だって、体があるこの世界は、マインドの世界だから。

言葉もマインドが翻訳してくれないと出てこないでしょ。
記憶もマインドだけど、ないと困ることもあるでしょ。
思考だって、仕事等で必要な場面もある。
まあ、どれも、自然に起こってくるとも言えるんけどね。

もし、記憶がなかったら
計算しようとしても、やり方がわからない。
足し算さえもできなくなっちゃう〈笑)

何かを作ろうとしても、作り方がわかんない。
毎回、作り方を一から学ぶことになり、
しかも、学んでいる端から、過去となって消えていっちゃうと
常に一を学ぶことになっちゃう〈笑)
これじゃ、いつまでたっても、何も作れないでしょ〜

まるで、私の読書やDVD鑑賞〜(笑)

はい。
読み終わる端から、見終わる端から、忘れちゃってます〈笑)
だから、どんな話だった〜?って聞かれても、ほと〜んど覚えてない。
どうかしたら、読んだことさえも、観たことさえも忘れてる。
ふとした時に、ハッと出てくることが起こってくることもあるけどね〜

マインドが
偽の自分が
悪いわけじゃない。
いつも必要ないわけじゃない。
とも言えるし、
必要な時にはそれも自然に起こってくる、
とも言える。

言葉にすると、ホント、複雑になってくるわ〜
ただ・・・
マインド、偽の自分が、負の感情を引き起こした場合は
ありのままを捉えられなくなることもあるから、要注意。

マインドって偽者の自分

学びを進めているうちに
マインドって、偽者の自分だな〜と思ってたんだよね。
と、そこで、覚者さんの本を読んでたときに
同じように、偽者の自分と言われてた本とぶつかった。

やっぱり〜
偽者の自分なんだ〜

思わず、にっこり。

マインドって言う言葉を使うと、
言葉がまるっきり違うので、ピンと来ないけど、
偽者の自分っていうと、
なんか、ピンときちゃわない?!

マインドって、
自分のふりをして本当の自分だと思い込ませてるんだよね。
すっかり騙されちゃってるわけ(笑)

さすが、マインド〜
いやいや、感心してる場合じゃないでしょう(笑)

マインド主体で生きてるって事は
偽の自分で生きてるって事。

とはいえ、マインドも本当の自分だと言うこともできるんだけど、
本当の自分そのものじゃないんだよ。

マインドが納得し、静まる時

ただの観念
ただの信念
ただの知識
等は、まだマインド領域なので
マインドをおとなしくさせることも
納得させることもできない。

体験・経験を通して
スットンと腑に落ちた時
はじめて、
マインドは静まり、納得する。

なんだ〜
そうだったのか〜
ってね^^

つまりは
ただの観念、信念、知識等では
本当の自分(在る・真我)を知ることはできない。
ということに繋がる。

なぜなら、
本当の自分(在る・真我)は、
マインドを超えている存在だから。
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