プンジャジ(パパジ)さんの言葉 - ゼロ意識共鳴で、本当の自分に目覚め・覚醒を促し、心の平安や真の幸せへの道案内

心はあなたを欺く

心は非常に狡猾だ。

それは旅のどの段階でもあなたを欺くことができる。

それはあなたが自由に向けて努力しようと決意した途端、
注意を逸らそうとする。

あなたが自分自身の真我に出会おうとするとき、
幻覚を見ているか、何か価値のないことを体験していると信じさせるのだ。

あなたが自分自身の真我に出会おうとするとき、
心はあなたが何か間違ったことをしていると確信させるだけでなく、
あなたを間違った方向に進ませ、精神的な迷宮に迷いこませてしまう。

それはあなたの好みの神の姿のヴィジョンを映しだし、
あなたの注意を無形の真我から逸らしてしまう。

心はあなたが何に魅了されるか知っている。

そしてあなたが自由に近づくにつれ、それはあなたを欺き、
真我から引き離すような何かを創造し顕現させる途方もない力を用いるのだ。


これが心だ。

あなたが見ているものはすべて心だ。

すべての顕現、過去、現在、未来、すべての神々、天国や地獄
――――すべては心なのだ。

なんという力を心はもっていることか!

それはヴィジョンや快い内的状態を与えて、
あなたを助けているようなふりをする。

そしてあなたが無心のうちに真我に遭遇することを妨げるために、
あらゆる力を用いるのだ。

想念がなければ、心にあなたの注意を逸らす力はない。

想念がそこにあれば、必ずやあなたは心に欺かれる。

あなたは自分の心を管理し制御していると考えている。

だが、実際は心があなたを管理しているのだ。

心は死を招く危険な虎だ。

あなたは殺される前に、この虎を、この途方もない力を
乗りこなさなければならないのだ。

成功するためには強烈な決意が必要だ。

その決意があれば、あなたに正しい道を歩かせ、
目的地に向かってまっすぐ進ませる祝福が注がれる。

もしあなたが真剣なら、助けは必ず訪れるだろう。

あなたが見るものはすべて心の創造物である

感覚はいつも過去の出来事にしがみついている。

心はその感覚を通してあなたを過去へと連れ戻す。

あなたが見るものはすべて心の創造物であり、
心は常に過去の中にある。

時間の存在しない現在の瞬間には、心も存在しない。

心がどこから現れるのか見いだしなさい。

そしてそれがその場所に消え去るのを見守りなさい。

そうすれば、あなたは時間もその場所に消え去ることを発見するだろう。

心の消滅は、あなたが心配しなければならないようなものではない。

あなたはそれなしでも充分生きていけるのだ。

言葉を形づくることは沈黙の体験の妨げとなる

もし言葉に囚われれば、それはあなたを真我から引き離す。

だが、もし言葉が現れ出る源に戻るなら、
それはあなたを真我に連れ戻すこともできるのだ。

あなたは紙の上に何かが書かれているのを見る。

それが書かれる前、それは誰かの心の中にあった。

言葉が現れる以前に、それについての想いがあったはずだ。

この言葉はどこから来たのか?

どこから忍び入ったのか?

沈黙からだ。

それならば、なぜ沈黙に戻らないのか?

すべての言葉が現れる沈黙の海になぜ戻らないのか?

実際、心の中で言葉を形づくることは、
この沈黙の体験の妨げとなってしまう。

沈黙は常にそこにある。

だが、言葉を形づることで、
あなたは内なる沈黙の流れを妨げてしまうのだ。

私たちの間には沈黙の流れがある。

だが、もし言葉を話せばその流れとの接触を失ってしまう。

沈黙に聞き入りなさい。

そして見守りなさい。

あなたがするべきことはそれだけだ。

あなたが決定をするということはない

あなたが決定をするということはない。

ただそうすると思っているだけだ。

何か他のものが、あなたに物事を為すように駆りたてる。

ただそれに気づいていないだけなのだ。

思考過程に忙しくしている間は、
それに気づくこともないだろう。

想念も、想像も、努力もない場所を見いださなければならない。

それを見いだしなさい。

そうすれば、もう戻ってくることはないだろう。

それは即座に起こる。

だが、あなたが考えているかぎり、
あるいは考えないようにしようと努力しているかぎり、
それが起こることはない。

考えることも理解することもなしに、
その無想の場所を見いだしなさい。

そしてそこにとどまるのだ。

行為して、忘れなさい

想念と行為の間に起こる思考過程はまったく愚かなものでしかない。

それはサンサーラ、カルマに属している。

人々はサンサーラの中で考え、それから行為する。

そして後になってから、
彼らがしたことを心配したり悔んだりするのだ。

もしあなたが真我として生きるなら、
あなたはただ行為し、そして忘れる。

想念が行為を促すのではない。

行為の後でそれを分析したり判断したりする想念はない。

これが違いだ。

行為して、忘れなさい。

キスをして、忘れなさい。

平手打ちして、忘れなさい。

これはあなたが自己の本性を知ったときにのみ起こるのだ。


物事の真の本性を知るには、
まずあなた自身の真の本性を知らなければならない。
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