ゼロ意識共鳴で、本当の自分に目覚め・覚醒を促し、心の平安や真の幸せへの道案内

いつも来てくださってありがとうございます

広島市内、東広島市内で、
お茶会やランチ会、お勉強会を開かせていただいています。
ご興味のある方は、参加してみてくださいね
また、そういった会を開いてほしいと思われる方も、
ご連絡お待ちしておりますメール

ゼロ意識共鳴 不二の道個人セッションについて

ゼロ意識共鳴で、本当の自分(真我)を体験しつつ、理解を深めていくセッションです。
読んだだけでは、よくわからないと思いますので、まずは、お試しセッションを準備させていただいております。

言葉というマインドを通してでは、理解が難しいと思います。
本当の自分(真我)は、マインドを超えていますから、マインドでは理解不能なものなんです。

こればかりは、体験してみないとわからない。

興味のある方は、詳細&料金をご覧ください。

共鳴バナー.png

源に向かいなさい

想念がどこから立ち現れるのかを見いだしなさい。

それは心です。

心あるいは知性は誰にとって機能するのでしょうか?

自我です。

知性を自我の中に融かし去りなさい。

そして自我の源を探し出しなさい。

そうすれば、自我は消え去るでしょう。

「私は知っている」と「私は知らない」は、
主体と対象の存在を示唆しています。

それらは二元性ゆえに存在するのです。

真我は純粋で絶対、単一で単独です。

一つの自己がもう一つの自己を知るというような
二つの自己が存在するわけではありません。

では二元性とは何でしょうか?

それは単一で単独である真我ではありえません。

それは真我ではないものに違いありません。

二元性は自我の特徴です。

想念が起こるとき、そこには二元性があります。

それが自我なのです。

その源を探りなさい。


想念の不在の度合いが、真我実現への進歩の度合いを示しています。

しかし真我実現自体は進歩というものを認めません。

それは常に同じです。

真我は常に実現されているからです。

障害は想念だけであり、
進歩の度合いは真我が常に実現されているという理解への障害を
どの程度取り除いたかによって知られるのです。

それゆえ、想念は誰に起こっているのかと探究することによって、
想念を止めなければなりません。

源に向かいなさい。

そこでは想念は起こらないのです。
【ラマナ・マハルシさんの言葉の最新記事】

何が起きても動じない平和な感じでした

セッションを受けてくださっている方から
ご感想をいただきましたので、
かまら(Kamala)の返信と合わせてご紹介させていただきますね。


こんばんは〜
ご感想ありがとうございます。

> Kamalaさん
>
>
>
> 先程はセッションありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

> そして、感想です。
>
>
>
> ●意識の共鳴
>
> スーッとした クリア― 爽やか
>
> ↓
>
> 穏やか、全てを包む 全て
>
> 全ての底辺

ここが基準、基盤、ニュートラルですね。

> ●アイコンタクト
>
> 無 空っぽ
>
> 私と言うものがない

個人は溶け去り、全体ですね。

> ●瞑想
>
> 無 空っぽ
>
> マインドを見ていた
>
>
>
> ●ハートの共鳴
>
> 落ち着き
>
> 何が起きても動じない平和
>
> 穏やかさ

どんなことにも影響を受けない存在ですね。

> ●立場を変えて
>
> 何があっても、何がなくても平和

いいですね☆

> ●立場なし
>
> 全て 存在そのもの
>
> すごく小さいマインドの個人がいた
>
> (小人みたいに小さくて、なんかいるな〜って感じ)

その小さな個人は問題にはなりませんね。


今回もいい感じでしたね。
より深まった感がありましたね。

> では、次回もよろしくお願いします。

またよろしくお願いします。



    かまら(Kamala)

あなたは真我です

「そこに幸福はない」は単なる想念でしかありません。

真我は至福であり、純粋でシンプルなものです。

あなたは真我です。

あなたは至福以外の何ものでもないのです。

至福として在りながら、幸福がないということはできません。

真我が「幸福はない」と言うことはありえません。

そういうのは真我ではないものです。

真我の至福を実現するためには、
真我でないものを取り除かなければならないのです。

真我と身体・心の関係

真我はただあるがままに在るのです。

それは常に輝き、常に不動で、揺らぐことも変わることもありません。

変化はハートに宿る真我に初めから備わったものではありません。

真我は太陽のように自ら輝いており、変化はその輝きの中に見られるのです。


真我と身体あるいは心との関係は、
透明な水晶とその背景に比較することができるでしょう。

もし水晶が赤い花の前に置かれたなら、それは赤い色で輝き、
緑の葉の前に置かれたなら、それは緑色の輝きを放つでしょう。

個人は絶えず変化する身体や心という限定の中に自身を閉じ込めています。

しかしその身体と心も不変の真我からその存在を得ているのです。

必要なのは、この偽りの自己同一性を放棄することだけです。

それさえ放棄されれば、
永遠に輝く真我は単一の非二元的な実在として見られるでしょう。

全てと繋がっている中心にただ在りました

セッションを受けてくださっている方から
ご感想をいただきましたので、
かまら(Kamala)の返信と合わせてご紹介させていただきますね。


こんにちは〜
ご感想ありがとうございます。

> Kamalaさん
>
>
>
> 今ほどはセッションありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございます。

> そして、感想です。
>
>
>
> ●意識の共鳴
>
> クリアー、穏やか
>
> しなやか ⇒混然一体とした全て

ひとつ。
それそのものですね。

> ●アイコンタクト
>
> 全てが止まっているような静けさ
>
> けど、生きてる
>
> (植物のような感じ)

はい。生命そのものでもありますね。

> ●瞑想
>
> 静けさ、はずむような楽しさ
>
> お花畑
>
>
>
> ●ハートの共鳴
>
> 温かく落ち着きながら
>
> 静かにはずんでる
>
>
>
> ●立場を変えて
>
> 全てと繋がっている中心に
>
> ただ在る
>
> 中心の1点

中心でもあり、全体でもあります。
それは、ただ在る、それだけです。

> ●立場なし
>
> どこにいっても繋がっている、放射状の中心
>
> 始まり

始まりの点でもあり、終わりの点でもあります。

そこ。それ。
ひとつ。

> では、次回もよろしくお願いします。

またよろしくお願いします。


     かまら(Kamala)
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。